夢の中まで

好きだから崇めるスタイル

「自担」がいる世界を愛せるか

 

新型コロナウイルスが奪ったもの、ライブ、飲み会、旅行、マスクなしの生活、人との接触、そして大切な人、今まで当たり前だったもの。

 


今年の6月、わたしはNEWSというグループを好きな者としてまた絶望を味わうこととなった。悲しかったし悔しかったし、毎日毎日「どうしてこんなことに」と思う日々だった。わたしはただ、4人で作り上げる作品をこれからもずっと見ていたかった。それだけだったのに。わたしはどこかで、何かできたのか、何かがどこかで違っていれば、こんな世界は訪れなかったのか。彼がSNSで何か発信するたびに「お前にできることはなにもなかった」と言われているようで、こうなってしまった世界を恨むことしかわたしにはできなかった。

 


わたしはずっと「パフォーマンスをする増田貴久」が大好きで、全世界の人に増田貴久のパフォーマンスを見てほしいと願ってやまない過激派オタクである。ドラマに出ていても、バラエティに出ていても、やっぱり歌って踊る増田貴久には勝てない。爪の先まで音楽を感じてしなやかに動く手、鼓動のようにリズムを刻む足、曲によって変わる表情、そして優しい声。その全てが世界一だと信じている。わたしの人生を変えてくれた。わたしの人生に彩りを添えてくれた。たくさんの幸せをくれた。でも、それもウイルスのせいで見れなくなってしまった。「増田さんはどういう表情でこの曲を歌うつもりだったんだろう」「増田さんはどんな衣装を4人に着せようとしてたんだろう」パンフレットに書いてあった「このパンフレットをあなたが読んでいるということは、4部作が完結したということです。僕はそのことを嬉しく思います」という言葉だけが虚しく脳内にこびりついている。「こんな世界じゃなかったら、増田さんの夢は叶っていたんだろうか」またそんなことを思い始めてしまって、わたしはSTORYのアルバムが聞けなくなった。

 


あの日から、3人は止まらず、わたしたちにメッセージを伝え続けてくれた。だけど、やっぱり、なんかちがう、そんな気持ちを持ってしまうことに罪悪感すら覚えた。必死についていこうとしたけれど、やっぱりどこかでまだ踏ん切りがつかずにいた。わたしの味方は、揺るがないものは、たくさんもらった幸せな思い出だけなのか。どうしてこんな世界に、この気持ちは消えなかった。

 


このコロナ禍の中で、増田貴久主演の「ハウ・トゥー・サクシード」の幕が開いた。わたしたちが想像するより何千倍も苦しい状況だったと思う。きっと大赤字だし、いつもの何千倍も気を使うところがたくさんあっただろうし、満足に稽古もできない状況だったことは、素人のわたしから考えても容易に想像がつく。その中でも幕が開いたことは本当に奇跡だし、カンパニーの皆さんには本当に感謝しかない。久しぶりの劇場に、わたしは緊張しながら向かった。

席に座り、ドキドキしながら双眼鏡のピントを合わせる。そんな仕草ですら幸せを感じて、外せないマスクの下で少しニヤリとした。ブザーがなり、暗転する。幕が開くとそこには、増田貴久がいた。彼が歌った最初の一音で、わたしの心は震えた。

 

「これが聴きたかった」

 

いつ終わるかわからないこの苦しい状況の中で、ずっと生きる希望であり続けてくれた。彼を好きになったことでたくさんの苦しい思いをしたことも事実。だけどわたしはやっぱり「パフォーマンスをする増田貴久」が世界で一番好きだった。目の前に増田貴久が居て、歌って、踊って、わたしたちにエンターテイメントを見せてくれている。その事実が幸せすぎて、全然泣くシーンじゃないのに、涙が止まらなかった。初めてマスクしていてよかった、と思ったかもしれない。

そこからの約3時間は、毎日毎日気にしていたコロナのことを忘れることができた。エンターテイメントのいいとこって本当にこういうとこだよな~、日常の嫌なことを忘れられる薬みたいな効果を久しぶりに思い出した。座長として舞台に立つ彼は、他の人に比べたら小さな体で、エンターテイメントを精一杯表現しているように見えた。コロコロ変わる表情、心が震える歌声、強さと優しさを兼ね備えたダンス。何回も心の中で「あぁ~~好きだ~~!!!」と叫んだ。半分しか埋まっていない客席だったけれど、割れんばかりの拍手のなか笑顔でお辞儀する彼は、世界で一番素敵だった。そしてわたしは、増田貴久が存在するこの世界に生まれたことを、心から感謝した。

 


わたしが本当に見たかったもの。それはもう二度と見れなくなってしまった。いくらウイルスを恨んでも、世界を恨んでも、現実は残酷かもしれない。わたしになにができたのか、そんなことを考えていても誰も何も答えてはくれない。そんな世界の中で、わたしは生きていかなくちゃいけない。日常は前と違うけど、時間はどうしたって過ぎる。わたしは涼宮ハルヒじゃないから、同じ夏を1万5532回やり直すこともできないし、デロリアンに乗って時を戻すこともできない。

でも、増田貴久は今、この世界で歌って踊ってくれた。わたしの人生の柱はまだ揺るがないことを実感させてくれた。「好きでよかった」と思わせてくれた。それだけで充分だ。増田貴久は、わたしと同じこの世界で、一度は恨んだこの世界で生きていてくれている。残酷な現実と背中合わせで、この幸せも現実だ。たくさんの「なんで」「どうして」はたぶん一生拭えないけど、それでもいい。いつかこうなってしまった世界全部を愛せる日が来ると信じて、わたしは今日も、アルコール消毒をする、「自担」がいるこの世界を生きていくために。