夢の中まで

好きだから崇めるスタイル

犯罪被害者支援をしている稀有なオタクからあなたへ〜性被害を受けるとは?もっかいみんなで考えね?編〜

そろそろ理性を保つのがしんどくなってきたヨ!!!!!!!!!!!

ジャニオタという立場だからというのもあるけど、今日は、犯罪被害者支援をする身という立場も踏まえて、思うところをバーーーッも書き殴りました。

 


「ジャニーズを見ると、このタレントも性被害を受けたのでは無いかと思ってしまう」

 


このあいだ、ワイドショーで聞いた言葉です。これは性被害を受けた人を色眼鏡で見ますよという宣言であって、「差別」というには十分すぎる言葉です。

日々の幸せを大切にしながら生きる、「ある人」には名前があります。親に与えてもらった大切な名前で、自分のアイデンティティが宿った名前です。それが突然、「性被害者」という呼ばれ方に変わります。今まで持っていた名前やアイデンティティを奪われ、いやらしいことをされた人という身分で生きなければならなくなりました。自分がそれを望んだわけではないのに。名前があるのに、「被害者の方」と呼ばれます。培ってきたアイデンティティがあるのに、「いやらしいことをされた人」としかみられません。

名前やアイデンティティを奪われたこと、これを周りの人が知ったらどう思うか、自分を大切にしてくれていると思っていた周りの人は、同じように名前を奪い、アイデンティティを壊すかもしれません。「そのくらいで済んでよかったよ」「いやらしいことをされたなら、私もあなたにいやらしい言葉をかけたり、いやらしい行為をしてもいいよね」そんなことが起こるかもしれないなら、周りの人に知ってほしく無い。自分のことを大切にしてくれる人にはせめて、名前を呼んでもらいたい。自分を自分として見てもらいたい。接してもらいたい。だから、周りの人には知ってほしく無い。そう思うのは当然です。

そんな「ある人」に対して、「あなたは性被害を受けたように見える」ということが、どれだけ酷なことであるか。どれだけ恐怖で震えることなのか。それが想像できる人であってほしい。これを読んでいるあなたには。

 


その「ある人」があなただったら。あなたの大切な家族や友達、パートナーだったら。あなたの「推し」だったら。そんなことも想像できない人が、テレビに堂々と出て、コメントしている。そうか、わたしの生きる社会とは、こんな人で溢れた、無意識に人を傷つけることを何とも思わない人で溢れ、それを指摘する人もいない社会だったのか。そうか、そうだったんだな。

 


性加害も十分な、いや最低な人権侵害ですが、人を傷つけることも十分な人権侵害です。わたしたちはこの一連の騒動で何を学んだのか。人を徹底的に叩く方法ですか?大企業を解体させる方法ですか?性加害者の名前を見出しにしてアクセス数を稼ぐ方法ですか?

そんなことよりももっと、人を尊重し、人を思いやり、人の立場に立って、人が何を求めているのか。性被害を受けた人に寄り添うにはどうしたらいいのか。今後、あなたやあなたの大切な人が被害にあわないようにするにはどうしたらいいのか。

なんで誰も考えようとしないのですか。

被害にあうことを考えることはとても怖いことです。「自分は大丈夫」と、どうしても思っていたいかもしれません。でも、考えないと。ただ批判するだけじゃなくて、テレビで見た人の言葉尻を取ったり、振る舞いに文句を言うだけじゃなくて、私やあなたの、あなたの大切な人が生きる社会がもっとよくなるために、性被害を受けた人が胸を張って生きられる世の中にするために、加害する人がいなくなるように、考えないと。

 


「ジャニオタ」として長く生きてきたわたしは、アイドルとして活動してくれている彼らは、何のために名前を捨てたのですか。わたしは、ネットニュースでアクセス数を稼ぐために大切なものを捨てたわけではありません。地球のどこかで、助けてほしいと呼ぶ声があったから捨てたのです。性被害を受けた人がもっと生きやすくなる世界になるために捨てたのです。まだ数日しか立ってないですが、わたしの願いは叶いそうですか?わたしには微塵も、この社会が良くなるとは思えなくて、それでも歯を食いしばりながらわたしは、犯罪被害を受けた方の支援をしながら、自分にできることをして、今日もこの社会を生きています。

 


わたしにはもう、今の社会の動きが性被害を受けた人を助けようとしているとはどうしても思えなくて、SNSでは平気で性被害を受けた人を誹謗中傷するような文言が飛び交っていて、これを見た他の被害者は到底被害を訴えることができないような環境になっていると思うし、テレビで流れるコメントも、性被害を受けた人の気持ちを汲んでいるとは到底思えないし、性被害を受けたかどうかを吐露させようとする人もいるし、性被害について少し知識を持ってる人間から言わせてもらうと、被害者心情に寄り添えている人はほとんどいない。この状況で被害者が生きやすくなったと言えるとはマジで思えない。ただただわたしたちの社会が性被害についてのリテラシーが無いことを毎日のように垂れ流しているだけ。それは性被害を話題性のある一種のコンテンツとして消費することしか考えてないからであって、それは今までの社会と何ら変わりない。なんのために被害者の方たちは声を上げてくれたのか。もう一度考えた方がいい。

 


わたしが持っている今の鬱屈したこの思いが、社会をより良くするための助走になればいいなと思いながら、明日もわたしは仕事します。被害者の方が少しでも生きやすくなる社会にするために。

犯罪被害者支援をしている稀有なオタクからあなたへ〜ジャニーズ事務所性加害問題、現状どんな感じ?編〜

 

オタクたち~~~~!!!!みんな元気~~~????(泣)(泣)この1週間くらい、強く生きてる~~~~??(泣)(泣)

ここ1週間くらい、テレビもツイッターも身の回りも、全部ジャニーさんの性加害の話になっていて、ただただ応援したいのにそれができない苦しさ、好きなものを胸張って好きと言えない苦しさ、推しの仕事が無くなっていく悲しさ、なんでこんな目に!という怒り、でも推しはもっと辛いんだろうなという悲しみ、「ジャニーズ大丈夫そ?」とか言ってくる身の回りの人に対する怒り、これからへの不安、世の中への不満、、、いろんな感情の中で生きて、ほんと偉いよ。誰も褒めないだろうからあたしがあなたのこと褒める。強く生きて偉い。これからも一緒に生きようね。

センセーショナルな記事や見出しがツイッター上に飛び交って、見たくないんだけど見ずにはいられなくて、自分の中の正義や好きという素直な気持ちさえ揺らいで、「こんな気持ちになるためにオタクやってんじゃないんだよな~~!」と思いながらもなんとか仕事して、正直疲れ果てている、いちオタクです。

 

疲れたけど、やっぱり自分の大切なものに起こっているこの問題をちゃんと捉えたいなと思ってるので、わたしは自分の思考と現実を整理するために、このブログに書きます。あくまで「わたし」がいま起きていることを噛み砕いて理解するための文章なので、ご了承を。

 

前のブログにも書いたんですが、わたしは仕事として犯罪被害者の方の支援に少し携わっています。だから一般の人よりは少しだけ、被害者の方の支援についてや、法律のことを知っています。そんな目線から、今考えることを少し文字にしたいと思います。

これを書いている今日は、9月13日、ジャニーズ事務所は被害補償の詳細などを発表したところです。

www.johnny-associates.co.jp

 

まず、現状を把握してみる。

今回は一旦単純化して、3つの立場のみ話します。

 

まず、以下の動きから。

ジャニーズ事務所と▲スポンサー

●会見で「これから事務所をこういう風にします。補償はこうする予定です。」

▲会見を受けて「提案を受けて、それでは足りないと思うので、取引を停止します。」とタレントをCMから下ろす

●改めてスポンサーの動きや世論を受けて対応発表「被害の補償、事務所の改革、そして事務所にお金が行かないように報酬カット」

 

いろんな人がいろんなことを言うから頭こんがらがってたけど、純化したらどちらもビジネスとしては当たり前の動きをしていると思った。

 

例えば

A社「うちの商品1000円で売ります!B社さんどうですか!」と提案を持ちかける

B社「おたくの商品1000円じゃ高いな」と反応

A社「じゃ改善しておまけつけますから!」

 

という取引をしているのと同じ流れだから、なんら不思議はない。今回の場合、ジャニーズ事務所の取引先がNOという手段が、ジャニーズ事務所の商品を使わない=CMを停止するということになるし、取引先はCMキャラクターに起用するという取引しかしていないわけで、スポンサーにとってジャニーズ事務所にNOという手段がそれしか無いとも言える。

 

取引の流れとしてはなんら不思議ではないとして、その「取引を停止する」という理由が本人にないところが、オタクとしては非常にモヤるところ。

 

これは本当に社会の仕組みとしか言いようがなくて、企業にとって最も気を使わなければいけないのって「起用したアイドルのファンたち」ではなくて、「株主」になってしまうところにある。株の仕組みなんて知ったこっちゃないけど、株は信用が命なので、少しでも信用が落ちる=会社の価値が落ちるリスクがあることに手を出したくないのは当たり前である。それを「人権への配慮」ということで、各企業声明を出している。

 

ただ救いなのが、大抵の企業が「被害者への補償や適切な対応が確認できるまで」取引を停止するとしているところ。ということは、ジャニーズ事務所側からの提案が取引先を納得させられるものであれば、取引が再開される可能性があるということ。企業側だって莫大なお金を払って契約して、そのおかげで売り上げが爆増したことだって痛いほど分かってるはずで、それを無下にするほどの大問題が明るみに出たのに、それでもまだ取引再開の可能性を残してくれているところにタレントたちへの信用や、微力ながら商品を買ったわたしたちの行動が確実に表れている。わたしたちは「被害者への補償や適切な対応」ができないから、ジャニーズ事務所が取引先を納得させられるような対応をしてくれることを祈るしかない。おい!!!任せたぞ!!!

それにきっと、各企業の法務部、広報部、IR担当、コンプライアンス担当などはこの数日社内を駆けずり回ったはず、、、みなさんお疲れ様です、、、ちゃんと休んでね、、、

 

ジャニーズ事務所と■被害者

ジャニーズ事務所へ、被害の認定、謝罪と補償を求める

●会見で被害の認定、謝罪、全面的な補償を約束

■会見で認められたことは大きな一歩だったが、補償の内容をもう少し明らかにすべき

●補償の詳細を公表

 

会見の時点で、ジャニーズ事務所は被害者の要求は全て受け入れることを表明しているし、被害者もその点を評価しているので、この会見でまずは前進したと言って良いと思います。補償の詳細を公表し、第三者の弁護士が対応することも発表されたので、ここからは被害者個人たちがどういう補償を要求していくか、という話になっていくと思います。ここで重要なのが、被害者の補償内容に第三者が口を出さないこと。被害回復は本人だけしか、なんなら本人だって何をもって被害回復かなんて分かりません。それは第三者や世論が動かしていいものではないと思っているので、そこは絶対口出さないように!!!

 

よくある質問のコ〜ナ〜〜〜!!!

ここではツイッターでよく見かける質問に対する答えを、わたし個人のみの考えに基づいて話します。重ねていうけど「オタクが」とかではなく「わたしが」です。主語全部書いてないけど、「わたしが」だからね!!メディアリテラシー、そこんとこよろしくな!!!!

 

ジュリーが退かなければ意味ないのでは?

→会見の時点で、ジュリーさんは被害者救済のみ行い、それが済んだら退くと言っている。被害者救済が始まっていない現状では、一概に判断できないと思います。第三者委員会が指摘していたのは同族経営がダメということで、東山さんが社長になった時点でその指摘は克服しているといえるし、権力のある被害者救済の担当者が今いなくなるのは、被害者側にもメリットが無いんじゃないか。今後、ちゃんと被害者救済を行って、退任するかどうかはちゃんと見ておく必要があるけれど。

 

ジャニーズの名前を変えるべきでは?

→被害者の人がジャニーズの名前を聞いて心的ストレスを受けている、と訴えている以上、全く対応しないというのは無理だと思う。ただし、そこにもきっと交渉の余地はあって、被害者の人は何を望んでるのかをまずは把握しないといけない。

(例えば、「ジャニー」という名前を全部世の中から消してほしければいくつかのグループ名を変える必要があるけど、「ジャニーズ事務所」だけ変えて欲しいかもしれないし、じゃあどんな名前ならいいのか、とかも聞く必要があると思う)。会見で回答した、被害回復の一環として対話する中で、様々な被害者の意見が出ると思うから、それを踏まえて判断する、というのは、わたしの意見からしたら正しい回答だったなと思う。

 

スポンサーは、タレントは悪くないのにおろすのはおかしい!

→取引先が事務所である以上、NOという手段は商品であるタレントを下ろすということしかできない。下ろす理由が本人にない、というところが腑に落ちないところではあるけど、例えば自分の会社の上司が仕事で大きなミスをしてしまったとき、きっと関係ないあなたが取引先に謝ったり、会社がお金で補償したりすると思うんだけど、それと一緒なんじゃないかな~。スポンサーはあくまで会社同士で取引してることを考えると、責めるべきはスポンサーではないよね。

 

被害者の人はお金要求しすぎじゃない?

→被害者支援をしている身として本当に強く言いたいんだけど、被害の程度や、被害者が何をもって被害回復とするかは本当に人それぞれ。それは家族でも弁護士でも検察官でも裁判官でもわからない。本人にしかわからないし、本人でもわからない。たしかに「相場」というものは存在するけど、じゃあその相場で被害者が被害回復をしたかと言われるとそうではない時もある。これは本当に本人と話をしてお互い納得したうえで行うものなので、少なくとも第三者が口を出していい話ではありません。黙っとこ。

 

被害者が司法の場に出てこないのはおかしいのでは?

→民事の話からすると、どんな事件でもいきなり裁判所に持ち込むことは少ない。まずは交渉から始めるのが一般的。今回も交渉が決裂したらしたら民事訴訟となって、裁判所の判断を仰ぐことになるんじゃないかなあ。そもそも交渉もしてない時点だと、裁判所が受け付けてくれない可能性も高いよ。

刑事の話からすると、被害者は刑事告訴を行うつもりらしいのだけれど、被害を受けた時期や種類を考えるとおそらく刑事事件として立証するのはとてつもなく難しいと思う。というか無理だと思う(これは日本の性犯罪を取り締まる法律がザルだったとこに原因がある)。しかも、捜査して立証できたところで加害者が亡くなっているので、「被疑者死亡」で不起訴になる。不起訴になれば裁判で審理されることはない。なので、刑事事件に持ち込めば真実が分かる、というのは明らかな間違いだと思う。

余談だけど、性被害の難しいところって本当にここにあって、被害を受けてから申告するまでにものすごく時間がかかる。そういう特性を鑑みたうえで、最近は性犯罪に関する法律が改正されたので、みんながちゃんと刑事司法に守られる世界になって欲しいと思う。

 

被害にあったって、嘘なんじゃない?

→それだけは絶対に言うな、それを言った瞬間、あなたも加害者になるぞ!!!!!

 

今の現状を改めて見直してみたけど、残念ながらわたしたちにできることは何もなさそう。オタクってこういうとき、本当に無力。でも推しを支えたいという純粋な気持ちだけは大切にしてね。でもそれを誰かを攻撃する刃に変えてはならないことだけは、どうか忘れないで。さっ、YouTube回してCD買ってインスタにいいねするぞ〜〜〜〜!!!!

ジャニーさんの性加害、オタクはどう捉えるべき?〜犯罪被害者支援をしてる稀有なオタクからあなたへ〜

ここ最近たっくさん報道されているジャニーさんの性加害の問題。いろんなとこでいろんな人がいろんなことを好き勝手言っていて、いろんな方向からストレスが溜まってます。わたしがオタクって知ってる人はさ、「ジャニーズ大丈夫?」なんて半笑いで聞いてくる人もいますが、知るわけねえだろ、わたしがジャニーズ事務所の幹部なわけあるか?幹部だったら自分の推しのアクスタだけ2万種類作らせるわ。

わたしはもう長いことジャニオタをやっている身ですが、実は犯罪被害者を支援する仕事に少し携わっています。犯罪被害者支援を仕事としているオタクなんてあんまりいないんだろうなと思って、でも身バレしたらマジ社会的に死ぬから、節度を持って書きますね。

いろんなネットニュースやワイドショーがあるけど、オタク目線の記事ってたぶんあんまりないし、仕事柄もあるけど、いろんなオタク、まあオタクに限らずみんなにこの問題について少し考えて欲しくて。これはこの性加害の話だけじゃ無くて、もしかしたらあなたが被害者になるかもしれない話だし、あなたの友達家族が被害者、または加害者になるかもしれないから、「ジャニーさんが性加害をしてたかどうか」っていうところだけじゃなくて、日本やあなたを取り巻く社会の話としてちょっと読んでほしい。

 

ジャニーさんが少年たちに性加害をしていたという問題が報じられてから、どうしても世間は「その事実があったかどうか、誰が被害者なのか」というところにめちゃくちゃフォーカスしている。でもさ?!?!?!それよりも大事なことない?!?!というかいろいろヤバいところない?!?!というのが、わたしが言いたいことです。

 

まず、この件で一番わたしが言いたいことは、みんな性暴力被害者と関係者への配慮が壊滅的に無いこと。

犯罪被害者支援の言葉で「二次被害」というものがあります。二次被害とは、実際に受けた被害のあと、周囲の人から浴びせられる心無い言葉や質問のこと。これらの言葉は被害者の心に大きな傷を残します。性犯罪に限ると「セカンドレイプ」とも言われるように、レイプ被害に遭ったのと同等の、それ以上の傷となることもあると言われてます。支援者の方はこの二次被害を生じさせないために、一生懸命勉強をして、いろんなところに気を配って、被害者の支援をします。

 

「あなたが無防備に部屋に行ったから、性被害を受けても仕方なかったんじゃない?」「なんで逃げなかったの?」「あなたの被害は嘘なんじゃない?」

これらは絶対に被害者に言ってはいけない言葉たちです。でも日本のメディアってこういうことを平気で言ってのけるよね、、、ツイッターを見ると、こういうツイートにたくさんのいいねがつくし、、、その感性、マジでヤバいことに気づいた方が良い。

オタクの立場からすると、推しが所属する事務所にこんな大スキャンダルが起きて、推しを支える事務所という存在が危うくなって、不安で信じたくない気持ちも、正直分かる。でも被害者を責めたり疑う発言をするのは絶対に許されない。被害を受けた人は100%悪くない。性暴力を受けた人に「落ち度」なんてものはひとつもない。

性加害をする人は、言い訳をします。「向こうが誘ってきたから」「相手が逃げなかったから」これは、二次被害を引き起こす言葉と限りなく似ています。ということは、二次被害を引き起こす言葉は、「加害者」の言葉と言っても過言ではないわけで。もし、こういう言葉をあなたが使っているとしたら、自分の中に「加害者」がいる可能性を自覚しなければならないと、私は思うよ。

www.ovsc.jp

 

次に、性暴力を受けたかどうかを告白させようとするそのムーブもマジでヤバいということ。

ワイドショーに出たタレントに対して「被害受けたか言わなかった!なんでだ!」みたいなムーブ、激烈にヤバい。

性被害について告白することは、必ず被害者自身に委ねられないといけません。言いたくなかったら言わなくていい。「あの人は被害者なのか?」と詮索することもしてはいけません。性に関する自己決定権は本人にしか無いから、性被害を受けたなんてプライバシーの最高機密みたいなこと、人に言わされてはいけません。

だから、あなたの推しが性暴力を受けていたかなんて気にすることはない。詮索する必要はない。むしろ、それを気にする方が圧倒的に被害者への軽蔑になる。性暴力を受けた人は、自分の体を侵食されるとてつもないトラウマ体験をして、それが周りの人にいつバレるかドキドキしながら日常生活を送らなければならない過酷な状況にいます。そんな人に「あなたってレイプされたの?」と聞くことがどんなに酷いことか想像してみてほしい。そんな思い、推しにしてほしくないよね。

わたしはジャニーズが、ジャニーさんがくれたエンターテイメントが大好きだけれど、性加害を肯定するつもりは心の底からありません。素晴らしいエンターテイメントを生み出したことは、性暴力を肯定する理由にはならない。どんな理由があっても、性暴力をしてはならないことは明らかなはずなんだけど、割と日本人はその意識が欠落しているんだな~~と、この件を見ていて本当に辟易しました。

もしかしたらあなたも、満員電車でお尻を触られて、「この電車は痴漢が多いし、このくらいしょうがない」と思ったことがあるかもしれない。痴漢にあった友達に「そんな短いスカート履いてるからだよ」と言ったことがあったかもしれない。が、マジでそんなことはない。性暴力は性暴力をするヤツが100%悪い。性暴力は人の尊厳を踏みにじる重大な人権侵害です!!!!(オタクしてて人権について語ると思わなかった)

これは今回の件だけじゃなくて、日本の社会というかもう全世界でいえること。だから推しの人権も、勇気を持って被害を告白してくれた人の人権も、あなたの人権も、みんなで守っていこうな。

 

そんな日本社会も、ついこの間、性暴力に関する刑法が改正されたヨ~~!!!今までは、性暴力を受けた時には、「強制性交等罪」または「強制わいせつ罪」という罪名で、暴行か脅迫を用いて抵抗できない状態であったことを証明しなければ罪として認められなくて、「著しく抵抗できなかったとはいえない」みたいなバカみたいな判決(口悪い)で無罪になった事案とかもあったんだけど、今期の国会で成立した改正刑法では「不同意性交罪」または「不同意わいせつ罪」と罪名が変わって、暴行脅迫がなくても、お酒などで抵抗が不可能だったり、社会的な地位の高さを利用したりすることも犯罪として認められるようになりました!!これは今まで性暴力の被害者となってしまった人や、それを支えたい人たちが必死に訴えて勝ち取った大きな一歩だと、わたしは思います。ちなみに、この刑法改正にあたっては、ジャニーさんから性暴力を受けたと告白した方も、法律を決める国会の委員会に呼ばれて発言するなどしてくれました。日本の法律は、あなたの体を守るために、ちょっとだけ良くなりました。リリース(法律の施行ね)は今年の7月くらいの予定だって!

他にも、盗撮を取り締まる法律ができたり(実は今まで盗撮は法律じゃなくて、都道府県が作る「条例」で取り締まってたんだよ)、子どもをエロい目で狙う大人から守ったりする法律ができたり、なんかめっちゃ良くなったと思う!!!!これをきっかけに、日本社会の性暴力に対する意識が変わるといいなと思います。これを読んでくれてるあなたの意識もね!

 

ここからは補足のおはなしですが、もし、あなたやあなたの周りの人が性暴力の被害に遭ってしまったら、助けてくれる人がたくさんいるので、ぜひ頼ってください。

 

www.gender.go.jp


都道府県にある性暴力のワンストップセンターは、検査や避妊用ピルを処方してくれる病院を紹介してくれたり、警察に一緒に行ってくれたり、弁護士さんを紹介してくれたりってことを一緒にやってくれたりします。国がやってるので利用は無料!!!様々な支援を受けるのにもたくさんの援助制度があります。せっかく税金いっぱい払ってるから、困った時は頼ろうね!

他にも、行政や民間、いろんなところで性暴力の被害者の支援をやっています。もしもの時、支えてくれる人がたくさんいることを少し覚えておいてもらえると、そういう仕事をしているわたしからするとすごくすごく嬉しいです。

 

まさかオタクをやっててこんな真面目モードな話をすると思わなくて過去記事とか過去ツイとか見られたら割と死ぬけど、推しの人権もあなたの人権も、みんなで尊重していこうな~~~!!!

2020年17月23日の話

昨日、NEWSのツアーが終わった。昨日は、2021年5月23日ではなく、2020年17月23日だった。

 

2020年。わたしたちには東京オリンピックがあった。かけがえのない学校生活、飲み会、旅行、大切な人との時間があった。それと、NEWS LIVE TOUR 2020「STORY」があった。

でも、どれもこれもなくなってしまった。それ以上に、4つのピースのうちの一つを、わたしたちは失ってしまった。夢見たあの場所へ、全員で行くことは叶わなくなってしまった。これを絶望というのか。2020年はわたしにとって、失われた1年だった。

 

わたしの2020年を取り戻そうとしても、世界はそんなに優しくなかった。彼らが見せたかったものを見るまでには相当な時間がかかってしまった。一生見れないのかとまで覚悟した。でも、わたしの2020年は取り戻せた。加藤シゲアキが「STORY 2020」とスプレーで書いた文字の最後に徐にバツを書いて、隣に「1」と書いたあの瞬間、わたしはやっと年を越すことができた。持ってきていた絶望、不安、悲しみ、そんなもん全部2020年に置いていけ、と言わんばかりに、大きく書いた「1」は、これから彼らが見せてくれる未来への第一歩だと確信した。ようやく、ようやくここまで来れた。長く辛く、険しい道のりだったけれど、こうやって同じ景色を見ることができて本当に幸せだった。

 

4年前、初めてステージに汽車が浮かび上がった時、「ホグワーツじゃ〜ん!」とえらく感動したことを鮮明に覚えている。3年前、激動の一年も乗り越えて、泣きながら拳を突き上げて大声でU R not aloneを歌ったことを鮮明に覚えている。2年前、ステージ上で水を蹴り上げる増田さんの水を浴びたいと心から祈ったことを鮮明に覚えている。1年前、無観客の会場で「ずっと同じ景色見てきたね 君がいるから幸せ」と歌わなかったことを鮮明に覚えている。この間にわたしもわたしの人生を歩み、いろいろな経験をした。それでも、そこにはいつでもNEWSがいて、この4部作が完結する日を夢見てきた。増田さんが何気なく言った夢が、増田さんの夢になり、NEWSの夢になり、NEWSを支える人の夢になり、わたしの夢にもなった。同じ夢を共有してきたこの5年間は、その過程だけで、かけがえのない宝物になった。同じ夢を追う苦しみ、悲しみ、本人達に匹敵することは到底無いけれど、それでも彼らは私たちにずっと「ついてきてくれてありがとう」と伝え続けてくれていた。一緒に苦しみ、もがいて、辛い思いをしてたどり着いた2020年最後の日は、わたしのなかで2020年の中で1番忘れられない日になった。わたしが1番嬉しかったのは、この夢を最初に描いた増田さんが、最後の曲を笑顔で歌い終わったことだった。ああ、この笑顔を見るために、わたしはオタクやってたんだなあ、としみじみしてしまった。その笑顔と、この景色を見せてくれてありがとう。テレビの前で嗚咽しながら、手を振った。

 

「ずっとこの仕事を続けていきたい、NEWSで。」

 

わたしの夢は

「ずっとオタクでいたい、増田貴久、そしてNEWSの。」

かな。

推しが燃えたオタクが「推し、燃ゆ」を読みました

芥川賞を獲った宇佐見りんさん著の「推し、燃ゆ」を読みました。

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

 

一言で言うと、超絶ウルトラハイパーミラクルしんどかった!!!!

主人公のあかりは、アイドルの上野真幸を推す女子高生で、ある日突然その推しが炎上する、というところからお話が始まります。あかりと同じような思いは残念ながら幾度となくしてきてしまっているオタク版龍が如くみたいな道を歩んできたわたし(推しグループはNEWS、関ジャニ∞Snow Man、この時点で察してほしい)は、こんなにも美しくオタクの心の機微を写してくれている文章に初めて出会って、感動と共感としんどさで読み終わった瞬間、スタバでスタオベしそうになった。推しや推しグループが炎上した経験がある人は、「あの時の私の感情を文章にしてくれてありがとう」という気持ちになると思うし、幸いにも推しの炎上を経験してこなかった幸運なオタクには、この本を読んでぜひ絶望していただきたい。こんなオタク畜生道もあるんだよ、と。
別に書評とかそんなたいそうなものじゃないんですが、好きな文をいくつか引用させていただきたいと思います。

 

「推しが炎上した。ファンを殴ったらしい。詳細は何ひとつわかっていない。(3頁)」

 

我輩は猫である。名前はまだない。」レベルで文学史に残る最高の書き出しだと思った。この一行だけで、オタクはどこまででも絶望できるよね〜〜〜!!最初に事態を把握した時って、本当に何が起こっているのかわからなくて、ただただツイッターに流れる滝のような情報を見ることしかできないあの感じ。今目の前で起こっていることが本当なのか、何から心配していいのか、自分が信じてきたものが目の前でボロボロと崩れ去って行くあの感じ。はぁ〜〜〜思い出してもしんどい!!!(自分が歩んできた畜生道を振り返る私)その情報を見るまでは、楽しく幸せにオタクライフを歩んできていたのに、その瞬間から人生が一変する、オタクにとっては死刑宣告のような推しの炎上。いろいろな尾ひれをつけてSNSの荒波を泳いで行く、燃えた推し。目の前で自分の幸せのかたまりが燃えて尽きてしまいそうになっているのに、ただただ燃え広がって行くのを見るしかなくて、自分の手には水も消火器も、助けを呼ぶ術すら持ってなくて。燃える火はわたしに「君にできることは何もない」とでも言うかのように、無慈悲にトレンドに入った推しの名前をどんどん押し上げる。
「無事?メッセージの通知が、待ち受けにした推しの目許を犯罪者のように覆った。成美からだった。(3頁ー4頁)」
友達や家族から、心配してくれたLINEが来る。大丈夫?と聞かれて、わたしが1番聞きてえよ、と思う。わたしの推しは大丈夫なのか?アイドルとしてまだやっていけるのか?これからどうなるのか?一緒に歩んで行くはずだった未来は「大丈夫」なのか?心配してくれるLINEでさえ、また自問自答の号砲となってしまって、わたしはまた燃え盛る推しを目の前にして立ち尽くすことしかできなくなる。誰でもいいから「大丈夫?」じゃなくて、「大丈夫だよ」と言ってくれ。できればジャニーズ事務所公式サイトが。

 

「まだ何とも言えない。何度もSNSで見かけた大多数のファンと同じことを思う。怒ればいいのか、庇えばいいのか、あるいは感情的な人々を眺めて嘆いていればいいのかわからない。ただ、わからないなりに、それが鳩尾を圧迫する感覚は鮮やかに把握できた。これからも推し続けることだけが決まっていた。(23頁)」

 

これ〜〜〜〜(泣)これなんよ〜〜〜〜〜(泣)苦しくて悲しくて怒ってるはずなのにこれからも好きでいることだけは確定しちゃってんのよ〜〜〜〜〜(泣)だってわたしが好きで推してたアイドルは、未成年とお酒飲むアイドルでも、ファンを殴るアイドルでもなくてステージで歌って踊ってキラキラしてるアイドルだから!!いくら社会的に許されないことをしてしまったとて、それはあくまでアイドルでない、ステージに立ってない推しであって、ステージにいる推しを好きになってしまった以上、ステージに立ってない推しが何かやらかしてしまったことで、ステージにいる推しを嫌いになる、というのはわたしの中では理論として成立しないのですよ。わたしはそういう流派のオタクをやっています。極論言うと「別に真面目に仕事してんだからよくね?」と思ってしまう自分をいるけれど、このご時世そうもいかない。このジレンマがしんどい。わたしたちが好きになって心底惚れて心を動かされたのは、週刊誌に隠し撮りされた写りの悪い白黒写真の君じゃなくて、キラキラの衣装を着て満員の会場でスポットライトを浴びる君だよ。

 

「携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしがなにかをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。(62頁)」

 

この文だけで2億回は頷いて首痛めた。推しとわたしの間には絶対に埋まらない距離があって、彼の布団で一緒に寝ることはできないし、一緒の食卓を囲むこともない。それは痛いほどわかっているし、推しの生活スペースに1ミリたりとも入りたいと思ったことはない。でも付き合おうって言われたら絶対に付き合うけど。どタイプだから。わたしが求めているのは、そんな近い距離じゃなくて、東京ドームの3階席から辛うじて動いていることがわかる推しを双眼鏡で覗くような距離。距離があるから、自分の中で「自分の好きな推し」として理想的な推しを応援できる。近づいてしまったら気づく、例えばお茶碗にご飯粒残すタイプなんだとか、店員さんにタメ口使う人じゃんとか、そういう余計なとこに気づいて嫌いになることもない。わたしはいつまでもペンライトの海に光る一つのあかりで良い。推しが「君の応援が届いているよ」って夢を見せてくれるならそれで良い。わたしの出したお金が、推しの生活をちょっとだけ豊かにさせられてたら、それ以上に幸せなことはない。ただ付き合おうって言われたら付き合うけど。好きだから。

 

「やめてくれ、あたしから背骨を、奪わないでくれ。(112頁)」

 

オタクにとって推しは「背骨」。生きる糧だし、人生の根幹かもしれない。作中のあかりは特にそうだった。でも、わたしたちは自分の背骨を守る術を知らない。推しが燃えないように、何もない平穏な日々が続いていくことを祈ることしかできない。どれだけCDを買っても、ライブに行っても、うちわに大好きと書いても、私たちは自分の背骨を守れない。残酷だと思う。でも、いつか終わるかもしれないその日を怯えながら推しを見るのはすごく辛い。せっかく今、目の前に推しがいて、応援できて、同じ時を過ごせているなら、その幸せは永遠に続くと、調子に乗るべきだと思う。推しにもわたしたちにも未来はわからないなら、絶望には手を出さないで生きていく方が絶対に良いと、わたしは畜生道を歩んできた者なりに思う。ただもし、何かの奇跡で「推しと呼ばれる側の人間」がこれを見ていたら、少々お願いがある。頼むから自分の肩には何万人の女の背骨がかかっていると思って日々を生きてくれ!!!!家にあげる前に未成年じゃないことと人妻じゃないことを最低10回は確認してくれ!!!オタクとの約束だ!!!

総じてものすごく良い一冊でした!!オルタネートまだ読めてないので読も!!!!!

 

オルタネート

オルタネート

 

 

「自担」がいる世界を愛せるか

 

新型コロナウイルスが奪ったもの、ライブ、飲み会、旅行、マスクなしの生活、人との接触、そして大切な人、今まで当たり前だったもの。

 


今年の6月、わたしはNEWSというグループを好きな者としてまた絶望を味わうこととなった。悲しかったし悔しかったし、毎日毎日「どうしてこんなことに」と思う日々だった。わたしはただ、4人で作り上げる作品をこれからもずっと見ていたかった。それだけだったのに。わたしはどこかで、何かできたのか、何かがどこかで違っていれば、こんな世界は訪れなかったのか。彼がSNSで何か発信するたびに「お前にできることはなにもなかった」と言われているようで、こうなってしまった世界を恨むことしかわたしにはできなかった。

 


わたしはずっと「パフォーマンスをする増田貴久」が大好きで、全世界の人に増田貴久のパフォーマンスを見てほしいと願ってやまない過激派オタクである。ドラマに出ていても、バラエティに出ていても、やっぱり歌って踊る増田貴久には勝てない。爪の先まで音楽を感じてしなやかに動く手、鼓動のようにリズムを刻む足、曲によって変わる表情、そして優しい声。その全てが世界一だと信じている。わたしの人生を変えてくれた。わたしの人生に彩りを添えてくれた。たくさんの幸せをくれた。でも、それもウイルスのせいで見れなくなってしまった。「増田さんはどういう表情でこの曲を歌うつもりだったんだろう」「増田さんはどんな衣装を4人に着せようとしてたんだろう」パンフレットに書いてあった「このパンフレットをあなたが読んでいるということは、4部作が完結したということです。僕はそのことを嬉しく思います」という言葉だけが虚しく脳内にこびりついている。「こんな世界じゃなかったら、増田さんの夢は叶っていたんだろうか」またそんなことを思い始めてしまって、わたしはSTORYのアルバムが聞けなくなった。

 


あの日から、3人は止まらず、わたしたちにメッセージを伝え続けてくれた。だけど、やっぱり、なんかちがう、そんな気持ちを持ってしまうことに罪悪感すら覚えた。必死についていこうとしたけれど、やっぱりどこかでまだ踏ん切りがつかずにいた。わたしの味方は、揺るがないものは、たくさんもらった幸せな思い出だけなのか。どうしてこんな世界に、この気持ちは消えなかった。

 


このコロナ禍の中で、増田貴久主演の「ハウ・トゥー・サクシード」の幕が開いた。わたしたちが想像するより何千倍も苦しい状況だったと思う。きっと大赤字だし、いつもの何千倍も気を使うところがたくさんあっただろうし、満足に稽古もできない状況だったことは、素人のわたしから考えても容易に想像がつく。その中でも幕が開いたことは本当に奇跡だし、カンパニーの皆さんには本当に感謝しかない。久しぶりの劇場に、わたしは緊張しながら向かった。

席に座り、ドキドキしながら双眼鏡のピントを合わせる。そんな仕草ですら幸せを感じて、外せないマスクの下で少しニヤリとした。ブザーがなり、暗転する。幕が開くとそこには、増田貴久がいた。彼が歌った最初の一音で、わたしの心は震えた。

 

「これが聴きたかった」

 

いつ終わるかわからないこの苦しい状況の中で、ずっと生きる希望であり続けてくれた。彼を好きになったことでたくさんの苦しい思いをしたことも事実。だけどわたしはやっぱり「パフォーマンスをする増田貴久」が世界で一番好きだった。目の前に増田貴久が居て、歌って、踊って、わたしたちにエンターテイメントを見せてくれている。その事実が幸せすぎて、全然泣くシーンじゃないのに、涙が止まらなかった。初めてマスクしていてよかった、と思ったかもしれない。

そこからの約3時間は、毎日毎日気にしていたコロナのことを忘れることができた。エンターテイメントのいいとこって本当にこういうとこだよな~、日常の嫌なことを忘れられる薬みたいな効果を久しぶりに思い出した。座長として舞台に立つ彼は、他の人に比べたら小さな体で、エンターテイメントを精一杯表現しているように見えた。コロコロ変わる表情、心が震える歌声、強さと優しさを兼ね備えたダンス。何回も心の中で「あぁ~~好きだ~~!!!」と叫んだ。半分しか埋まっていない客席だったけれど、割れんばかりの拍手のなか笑顔でお辞儀する彼は、世界で一番素敵だった。そしてわたしは、増田貴久が存在するこの世界に生まれたことを、心から感謝した。

 


わたしが本当に見たかったもの。それはもう二度と見れなくなってしまった。いくらウイルスを恨んでも、世界を恨んでも、現実は残酷かもしれない。わたしになにができたのか、そんなことを考えていても誰も何も答えてはくれない。そんな世界の中で、わたしは生きていかなくちゃいけない。日常は前と違うけど、時間はどうしたって過ぎる。わたしは涼宮ハルヒじゃないから、同じ夏を1万5532回やり直すこともできないし、デロリアンに乗って時を戻すこともできない。

でも、増田貴久は今、この世界で歌って踊ってくれた。わたしの人生の柱はまだ揺るがないことを実感させてくれた。「好きでよかった」と思わせてくれた。それだけで充分だ。増田貴久は、わたしと同じこの世界で、一度は恨んだこの世界で生きていてくれている。残酷な現実と背中合わせで、この幸せも現実だ。たくさんの「なんで」「どうして」はたぶん一生拭えないけど、それでもいい。いつかこうなってしまった世界全部を愛せる日が来ると信じて、わたしは今日も、アルコール消毒をする、「自担」がいるこの世界を生きていくために。

増田貴久34歳の誕生日会はこのご時世開催されないと思うので呼ばれた時用に書いていた手紙をここに書きます

私の幸せは、あなたが夢を叶えていく姿を見ることです。

 


あなたを応援してきて、あなたがたくさんの夢を叶えていく姿を見てきました。夢だった東京ドームに立つ姿、4年後を見据えて作ってきた衣装を味の素スタジアムで披露した姿、ドラマの主役として演技をする姿。数えきれないほど夢を叶えてきたあなたは、その度にわたしたちに「ありがとう」と言ってくれました。わたしはそのたびに「この人を応援していてよかったな」と心から思うことができています。本当にありがとう。

 


私が1番辛いことは、あなたの夢が叶わないことです。

 


残念ながら今年に入って、あなたの夢が立ち止まってしまう瞬間を何度も味わうこととなってしまいました。見せたかった4部作の最後は、きっと思い描いてたものとは違う意味を持ってしまいました。初めての3大ドームは、一度も立つことなく、ただの日常の1日として時間が過ぎてしまいました。初めての主演ドラマは、撮影が中断してしまいました。実力が認められて勝ち取ったミュージカルは、満員の会場で演じることは難しくなってしまいました。

私の夢ではないけれど、あなたが大事にしてきた大切な夢がこんな形で立ち止まってしまうなんて、苦しくて悔しくてたまりません。

 


なんでこんなことに、と毎日考えてしまう私ですが、あなたはいつも前向きな言葉で励ましてくれました。「いつか必ず」「また絶対会おう」そんな言葉にたくさん救われた今年です。あなたの方がきっと私の何倍も、想像もできないほど大変で辛い思いをしているのに、そんな時でもわたしたちのことを気にかけて、いつかまた会えるその日を信じていてくれています。その度にまた「この人を応援していてよかった」と思うのです。

 


33歳のあなたは、本当にたくさんの夢を見せてくれました。「増田貴久」のいう一人のアイドルが、世の中にどんどん認知されていった一年だと思います。そんなあなたを応援できて、本当に誇らしいです。「やっと世の中が追いついてきたな」という感じです。気づくの遅えよ、世の中。あなたはいつもわたしたちに感謝を伝えてくれて、いつでも最高の「増田貴久」を見せてくれます。そんなあなたが大好きだから、あなたの努力を知っているから、誰よりも幸せになってほしいと心から思います。だから今のこの状況が、悔しくてたまらない。こんなに素敵な人の夢が、どこの馬の骨かも分からないウイルスに潰されてしまいそうになっているこの状況が本当に悔しい。でも、あなたが「絶対に会おうね」と言ってくれたから、わたしは待ちます。待てます。あなたの夢がまた動き出すその日まで。あなたがまた幸せを実感できるその日まで。一刻も早くこの状況が終息して、あなたの努力が報われ、あなたの夢が叶いますように。

 


34歳の誕生日、おめでとうございます。