夢の中まで

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推しが燃えたオタクが「推し、燃ゆ」を読みました

芥川賞を獲った宇佐見りんさん著の「推し、燃ゆ」を読みました。

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

 

一言で言うと、超絶ウルトラハイパーミラクルしんどかった!!!!

主人公のあかりは、アイドルの上野真幸を推す女子高生で、ある日突然その推しが炎上する、というところからお話が始まります。あかりと同じような思いは残念ながら幾度となくしてきてしまっているオタク版龍が如くみたいな道を歩んできたわたし(推しグループはNEWS、関ジャニ∞Snow Man、この時点で察してほしい)は、こんなにも美しくオタクの心の機微を写してくれている文章に初めて出会って、感動と共感としんどさで読み終わった瞬間、スタバでスタオベしそうになった。推しや推しグループが炎上した経験がある人は、「あの時の私の感情を文章にしてくれてありがとう」という気持ちになると思うし、幸いにも推しの炎上を経験してこなかった幸運なオタクには、この本を読んでぜひ絶望していただきたい。こんなオタク畜生道もあるんだよ、と。
別に書評とかそんなたいそうなものじゃないんですが、好きな文をいくつか引用させていただきたいと思います。

 

「推しが炎上した。ファンを殴ったらしい。詳細は何ひとつわかっていない。(3頁)」

 

我輩は猫である。名前はまだない。」レベルで文学史に残る最高の書き出しだと思った。この一行だけで、オタクはどこまででも絶望できるよね〜〜〜!!最初に事態を把握した時って、本当に何が起こっているのかわからなくて、ただただツイッターに流れる滝のような情報を見ることしかできないあの感じ。今目の前で起こっていることが本当なのか、何から心配していいのか、自分が信じてきたものが目の前でボロボロと崩れ去って行くあの感じ。はぁ〜〜〜思い出してもしんどい!!!(自分が歩んできた畜生道を振り返る私)その情報を見るまでは、楽しく幸せにオタクライフを歩んできていたのに、その瞬間から人生が一変する、オタクにとっては死刑宣告のような推しの炎上。いろいろな尾ひれをつけてSNSの荒波を泳いで行く、燃えた推し。目の前で自分の幸せのかたまりが燃えて尽きてしまいそうになっているのに、ただただ燃え広がって行くのを見るしかなくて、自分の手には水も消火器も、助けを呼ぶ術すら持ってなくて。燃える火はわたしに「君にできることは何もない」とでも言うかのように、無慈悲にトレンドに入った推しの名前をどんどん押し上げる。
「無事?メッセージの通知が、待ち受けにした推しの目許を犯罪者のように覆った。成美からだった。(3頁ー4頁)」
友達や家族から、心配してくれたLINEが来る。大丈夫?と聞かれて、わたしが1番聞きてえよ、と思う。わたしの推しは大丈夫なのか?アイドルとしてまだやっていけるのか?これからどうなるのか?一緒に歩んで行くはずだった未来は「大丈夫」なのか?心配してくれるLINEでさえ、また自問自答の号砲となってしまって、わたしはまた燃え盛る推しを目の前にして立ち尽くすことしかできなくなる。誰でもいいから「大丈夫?」じゃなくて、「大丈夫だよ」と言ってくれ。できればジャニーズ事務所公式サイトが。

 

「まだ何とも言えない。何度もSNSで見かけた大多数のファンと同じことを思う。怒ればいいのか、庇えばいいのか、あるいは感情的な人々を眺めて嘆いていればいいのかわからない。ただ、わからないなりに、それが鳩尾を圧迫する感覚は鮮やかに把握できた。これからも推し続けることだけが決まっていた。(23頁)」

 

これ〜〜〜〜(泣)これなんよ〜〜〜〜〜(泣)苦しくて悲しくて怒ってるはずなのにこれからも好きでいることだけは確定しちゃってんのよ〜〜〜〜〜(泣)だってわたしが好きで推してたアイドルは、未成年とお酒飲むアイドルでも、ファンを殴るアイドルでもなくてステージで歌って踊ってキラキラしてるアイドルだから!!いくら社会的に許されないことをしてしまったとて、それはあくまでアイドルでない、ステージに立ってない推しであって、ステージにいる推しを好きになってしまった以上、ステージに立ってない推しが何かやらかしてしまったことで、ステージにいる推しを嫌いになる、というのはわたしの中では理論として成立しないのですよ。わたしはそういう流派のオタクをやっています。極論言うと「別に真面目に仕事してんだからよくね?」と思ってしまう自分をいるけれど、このご時世そうもいかない。このジレンマがしんどい。わたしたちが好きになって心底惚れて心を動かされたのは、週刊誌に隠し撮りされた写りの悪い白黒写真の君じゃなくて、キラキラの衣装を着て満員の会場でスポットライトを浴びる君だよ。

 

「携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしがなにかをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。(62頁)」

 

この文だけで2億回は頷いて首痛めた。推しとわたしの間には絶対に埋まらない距離があって、彼の布団で一緒に寝ることはできないし、一緒の食卓を囲むこともない。それは痛いほどわかっているし、推しの生活スペースに1ミリたりとも入りたいと思ったことはない。でも付き合おうって言われたら絶対に付き合うけど。どタイプだから。わたしが求めているのは、そんな近い距離じゃなくて、東京ドームの3階席から辛うじて動いていることがわかる推しを双眼鏡で覗くような距離。距離があるから、自分の中で「自分の好きな推し」として理想的な推しを応援できる。近づいてしまったら気づく、例えばお茶碗にご飯粒残すタイプなんだとか、店員さんにタメ口使う人じゃんとか、そういう余計なとこに気づいて嫌いになることもない。わたしはいつまでもペンライトの海に光る一つのあかりで良い。推しが「君の応援が届いているよ」って夢を見せてくれるならそれで良い。わたしの出したお金が、推しの生活をちょっとだけ豊かにさせられてたら、それ以上に幸せなことはない。ただ付き合おうって言われたら付き合うけど。好きだから。

 

「やめてくれ、あたしから背骨を、奪わないでくれ。(112頁)」

 

オタクにとって推しは「背骨」。生きる糧だし、人生の根幹かもしれない。作中のあかりは特にそうだった。でも、わたしたちは自分の背骨を守る術を知らない。推しが燃えないように、何もない平穏な日々が続いていくことを祈ることしかできない。どれだけCDを買っても、ライブに行っても、うちわに大好きと書いても、私たちは自分の背骨を守れない。残酷だと思う。でも、いつか終わるかもしれないその日を怯えながら推しを見るのはすごく辛い。せっかく今、目の前に推しがいて、応援できて、同じ時を過ごせているなら、その幸せは永遠に続くと、調子に乗るべきだと思う。推しにもわたしたちにも未来はわからないなら、絶望には手を出さないで生きていく方が絶対に良いと、わたしは畜生道を歩んできた者なりに思う。ただもし、何かの奇跡で「推しと呼ばれる側の人間」がこれを見ていたら、少々お願いがある。頼むから自分の肩には何万人の女の背骨がかかっていると思って日々を生きてくれ!!!!家にあげる前に未成年じゃないことと人妻じゃないことを最低10回は確認してくれ!!!オタクとの約束だ!!!

総じてものすごく良い一冊でした!!オルタネートまだ読めてないので読も!!!!!

 

オルタネート

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