夢の中まで

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犯罪被害者支援をしている稀有なオタクからあなたへ〜性被害を受けるとは?もっかいみんなで考えね?編〜

そろそろ理性を保つのがしんどくなってきたヨ!!!!!!!!!!!

ジャニオタという立場だからというのもあるけど、今日は、犯罪被害者支援をする身という立場も踏まえて、思うところをバーーーッも書き殴りました。

 


「ジャニーズを見ると、このタレントも性被害を受けたのでは無いかと思ってしまう」

 


このあいだ、ワイドショーで聞いた言葉です。これは性被害を受けた人を色眼鏡で見ますよという宣言であって、「差別」というには十分すぎる言葉です。

日々の幸せを大切にしながら生きる、「ある人」には名前があります。親に与えてもらった大切な名前で、自分のアイデンティティが宿った名前です。それが突然、「性被害者」という呼ばれ方に変わります。今まで持っていた名前やアイデンティティを奪われ、いやらしいことをされた人という身分で生きなければならなくなりました。自分がそれを望んだわけではないのに。名前があるのに、「被害者の方」と呼ばれます。培ってきたアイデンティティがあるのに、「いやらしいことをされた人」としかみられません。

名前やアイデンティティを奪われたこと、これを周りの人が知ったらどう思うか、自分を大切にしてくれていると思っていた周りの人は、同じように名前を奪い、アイデンティティを壊すかもしれません。「そのくらいで済んでよかったよ」「いやらしいことをされたなら、私もあなたにいやらしい言葉をかけたり、いやらしい行為をしてもいいよね」そんなことが起こるかもしれないなら、周りの人に知ってほしく無い。自分のことを大切にしてくれる人にはせめて、名前を呼んでもらいたい。自分を自分として見てもらいたい。接してもらいたい。だから、周りの人には知ってほしく無い。そう思うのは当然です。

そんな「ある人」に対して、「あなたは性被害を受けたように見える」ということが、どれだけ酷なことであるか。どれだけ恐怖で震えることなのか。それが想像できる人であってほしい。これを読んでいるあなたには。

 


その「ある人」があなただったら。あなたの大切な家族や友達、パートナーだったら。あなたの「推し」だったら。そんなことも想像できない人が、テレビに堂々と出て、コメントしている。そうか、わたしの生きる社会とは、こんな人で溢れた、無意識に人を傷つけることを何とも思わない人で溢れ、それを指摘する人もいない社会だったのか。そうか、そうだったんだな。

 


性加害も十分な、いや最低な人権侵害ですが、人を傷つけることも十分な人権侵害です。わたしたちはこの一連の騒動で何を学んだのか。人を徹底的に叩く方法ですか?大企業を解体させる方法ですか?性加害者の名前を見出しにしてアクセス数を稼ぐ方法ですか?

そんなことよりももっと、人を尊重し、人を思いやり、人の立場に立って、人が何を求めているのか。性被害を受けた人に寄り添うにはどうしたらいいのか。今後、あなたやあなたの大切な人が被害にあわないようにするにはどうしたらいいのか。

なんで誰も考えようとしないのですか。

被害にあうことを考えることはとても怖いことです。「自分は大丈夫」と、どうしても思っていたいかもしれません。でも、考えないと。ただ批判するだけじゃなくて、テレビで見た人の言葉尻を取ったり、振る舞いに文句を言うだけじゃなくて、私やあなたの、あなたの大切な人が生きる社会がもっとよくなるために、性被害を受けた人が胸を張って生きられる世の中にするために、加害する人がいなくなるように、考えないと。

 


「ジャニオタ」として長く生きてきたわたしは、アイドルとして活動してくれている彼らは、何のために名前を捨てたのですか。わたしは、ネットニュースでアクセス数を稼ぐために大切なものを捨てたわけではありません。地球のどこかで、助けてほしいと呼ぶ声があったから捨てたのです。性被害を受けた人がもっと生きやすくなる世界になるために捨てたのです。まだ数日しか立ってないですが、わたしの願いは叶いそうですか?わたしには微塵も、この社会が良くなるとは思えなくて、それでも歯を食いしばりながらわたしは、犯罪被害を受けた方の支援をしながら、自分にできることをして、今日もこの社会を生きています。

 


わたしにはもう、今の社会の動きが性被害を受けた人を助けようとしているとはどうしても思えなくて、SNSでは平気で性被害を受けた人を誹謗中傷するような文言が飛び交っていて、これを見た他の被害者は到底被害を訴えることができないような環境になっていると思うし、テレビで流れるコメントも、性被害を受けた人の気持ちを汲んでいるとは到底思えないし、性被害を受けたかどうかを吐露させようとする人もいるし、性被害について少し知識を持ってる人間から言わせてもらうと、被害者心情に寄り添えている人はほとんどいない。この状況で被害者が生きやすくなったと言えるとはマジで思えない。ただただわたしたちの社会が性被害についてのリテラシーが無いことを毎日のように垂れ流しているだけ。それは性被害を話題性のある一種のコンテンツとして消費することしか考えてないからであって、それは今までの社会と何ら変わりない。なんのために被害者の方たちは声を上げてくれたのか。もう一度考えた方がいい。

 


わたしが持っている今の鬱屈したこの思いが、社会をより良くするための助走になればいいなと思いながら、明日もわたしは仕事します。被害者の方が少しでも生きやすくなる社会にするために。