雑食系趣味

アイドルに関してはバイセクシャル

『増田貴久』を見た〜4月8日、仙台2部にて〜

怖かった。

とにかく怖かった。

 


倒れてステージから落ちてしまうんじゃないか。そのままいなくなってしまうんじゃないか。

そんな不安が心にあふれて、私は耐えられなくなってしまった。

 


4月8日、私はNEWSの「EPCOTIA」ツアーに行った。私が参加したのは2部だった。

運良くアリーナ席。割と近くでメンバーを観れる席だった。

登場から順調に、増田さんはかっこよかった。いつものように、キラキラした笑顔で私たちに手を振ってくれた。ああ、今日もかっこいいなあ。今日も好きだなあ。そう思っていた。

 


ただ、異変は後半に入ってすぐだった。

明らかに増田さんが踊れていない。足がフラフラしている。おかしい、違う、とすぐに感じた。

もう、ぶっちゃけ何もかもがどうでも良くなった。今どの曲をパフォーマンスしてるとか、もう何も分からなかった。ただただ、怖かった。

今までそんな増田さんを観たことが無かったから、ただ心配で、怖くて、辛かった。

たぶん、腰を痛めたとか、ちょっと体調が悪いとか、その程度だったのかもしれない。私にも分からないし、どんな状態だったのか増田さんにしか分からない。ただ事実として、全力で踊って、素敵な声で歌って、笑顔を振りまいてくれる、いつもの増田さんではなかったと思う。

 


ステージから落ちたらどうする?歌いながら倒れたらどうする?

 


今、目の前からいなくなったらどうする?

 


そんな不安が一気に襲ってきた。私は怖くて怖くてたまらなかった。

人生で初めてだった。「早くライブ終わってくれ」と思ったのは。

 


もうかわいそうになってしまった。そこまでしなくていいよ。休んでよ、もう。こっちが心配だから、もう、嫌だから。そんな痛々しい増田さん見たくないから。

私はそう思っていたけど、彼は違った。必死に、遅れないように食らいついて踊ろうとしていた。ふらつく足で、なんとかアイドルでいようとしていたように見えた。まあそんなの、見えただけだけど。踊りは追いつけていなくても、自分の歌割りは完璧に歌い上げていた。どこまで頑張るんだよ。

 


そんなぐちゃぐちゃの感情に負け、涙を拭っていると、メンバーが一度はけるタイミングになった。ああ、終わった。もう、出てこないでいいよ、辛いから。怖いから。もうここで終演でいい。終演にしてくれ。頼むから。

 


曲のイントロが鳴り、出てくるメンバー。そこには、さっきまでの姿が嘘かのように、笑顔で手を振る増田さんがいた。

なんなんだよ、本当。どこまで頑張るの。どれだけ私たちのために身を呈してるの。もう、頑張らないでよ、お願いだから。

私の感情はもうボロボロだった。耐えられなかった。本当に辛かった。私たちのためにここまで頑張ってくれるのか、こっちが見ててもわかるくらい自分が不調でも、私たちの求める「増田貴久」も守り続けるのか。

 


ほんとごめん。まじで。そこまで追い込んでたのか。

 


もうなにが起きているのかわからなかった。目の前に増田さんが来た。笑顔だった。きっとまだ不調なはずなのに、笑っていた。笑って手を振ってくれた。「増田貴久」だった。

 


私は泣いた。

 


「彼がいなくなったらどうしよう」という恐怖、「そんなに頑張らないでよ」という申し訳なさ、「増田貴久でいてくれてありがとう」という感謝。全部、本当に全部だった。

 


彼はそのまま、しっかりと終演まで走り抜けた。アイドルとしての仕事を全うした。圧巻だった。結局ステージ上では一度も倒れたり、座り込んだりしなかった。私は、最後まで無事に終わった安心感で、また泣いた。

 


数日後、彼はwebの連載で「パフォーマンスがポンコツでごめんなさい」と書いた。

そんなことない、むしろごめん、こっちこそ。無理させてごめん。ありがとう、最後までステージに立ってくれてて。

 

 

 

というわけで、私は4月8日の2部を見てました。

この話は、私が見ていて感じたことだけで、主観バリバリ入りまくりの感想です。

だから、もう私が泣いたこと以外何も合ってないくらいのテンションで読んで欲しいんですけど、これでまたなんか変な捉えられ方をしたら嫌なので、はっきりと言っておきます。

事実としてあるのは、増田さんのパフォーマンスが「ポンコツ」だっただけ。ただそれだけです。

それ以上でも以下でもない。ということ。

 


最初書くかどうか迷ったんですけど、これは自分的に文字に書いて整理しておきたいっていうのが一つと、シゲアキさんが極私的ライナーノーツで増田さんの「Thunder」について書いていたのが私が感じたこととマッチしたのもあって、描きたい欲が我慢できませんでした。

 


「増田貴久」とは、という問いに、きっと彼が一番苦しめられて来たはずで、彼の中での行動指針は「『自分』がどうするか」ということではなくて、「『増田貴久』ならどうするか」であったのではないか。今回もきっと、『自分』では不調でステージを降りたかったかもしれない。ただ、『増田貴久』は、きっと笑顔で歌い続けるはずだ。そう決めたのかもしれない。

 


『増田貴久』であるために、彼は『吐き出したい言葉飲み込んで』『たまにはトボけたピエロ演じて』きた。そして、彼は何者でもなくなる。そこまでしてなぜ?それは、雷がいつのまにか消えるものだから。昔話としてモノトーンに染まるものだから。

 


私たちは当たり前のように雨が上がると思っているし、当たり前のように『増田貴久』でいてくれると思っている。それは違ったのかもしれない。だからこそ、彼が『増田貴久』でいてくれることを、もっと敬意を持たなければならないのかもしれない。だってそれも、『いつのまにか消える』もの、だから。